Armand van Helden といえば、ニューヨークでハウスとヒップホップの狭間に生きる名人の一人ですが、2008 年 10 月に彼がリリースしたチューンのけしからん PV がこれ。
いやけしからん。こりゃまたなんたることか。
実に誠にすこぶるけしからん動画なので最後まで食い入るように見て何回もループして、その嘆かわしさに対する憤りを憤懣やるかたなく発散するのはもちろん当然の定めなのですが、私が言いたいのは、そのけしからなさやタモリ倶楽部さ加減とともに、「なんでレイブチューン?」ということなのです。たしかに Armand っぽい構成や音圧であるとは思いますが、いつにも増して一本調子な音色や展開が、何というかすごい既視感。もとい既聴感。まっさきに思い出したのは、ある時期の典型パターンだったこの曲。
Armand のタモリ倶楽部 2008 年に対して、Altern8 のリリースは 1991 年です。音楽的な違いは低音部分の洗練度合いくらいといっても過言ではないでしょう。構造的には、まあよく似ている。ダンスミュージックは機能してナンボですから、パクリじゃねえかとか革新性がないとか言って問題に思うことは全然ないのですが、2008 年 10 月のリリースというのがどうしても引っかかります。
つまりですね。
リーマンブラザースの破たんが 2008 年 9 月。Armand の PV がその翌月。バブル景気が終焉したといわれるのが 1991 年。Altern8 のリリースも 91 年。ある意味で厭世的、刹那的な享楽の象徴、どっちかというとダークサイドの象徴ともいえるレイブミュージックが趨勢を誇ったのが 90 年代前半。レイブミュージックは、この前の不況期の私たちの BGM だったわけですよ。何なんでしょうこのシンクロニシティ、と。私のこじつけ?文章上のレトリック?
物語を組み立てるなら、「ひょっとしてこれは『この先の 10 年がまた失われる』ってことの暗示だったりしてー。まさかねーそんなはずないよねーはははははー」なんていかにもな伏線として、場面を切り替える重要なシーンとしてじゅうぶん使えそうです。
もっとも。
これは完全に私の直感なんですが、いまから 10 年後には、「この 10 年楽しかったね。金はなかったけど」と言っていそうな気がすごくしているんですよね。理由も根拠もないんだけど、バブル後の私たちとは、今の私たちは明らかに違う気がする。私たち以降のような「最初から期待をしていない世代」の社会参加度合いとかとリンクしている感覚なんだと思いますが。
私自身、この辺は結構重要なテーマと思っているので、しばらく考えていきます。