しょうもないバカ記事が掲載されたのは正直どうでもいい。担当がバカで、で最終的には終わる話だから。問題なのは、「ネット上の」という表現をいつまでも使い続けてしまう空間認識力の欠如なんじゃないかと思うわけです。新聞って、旧態依然でいいんだっけ?インターネットって、どっかよその国の人たちの世界なんだっけ?
結局インターネットについてずーっと考え続けているわけですが、つまりもう炎上とかコメントスクラムとかブクマでうんぬんとか祭りとかネット上で評判とかっていうのは、「インターネットゆえに」「2ch ゆえに」なんてものではなくて、たくさんの人々のうちにある心の働きそのものだと、いい加減とらえるべきだろう、と。そういう結論が私の中で出つつあります。というか、心の準備がようやくできてきた、というか。
「なんだかんだいって、バカなニュースが好きだからメディアスクラムになるんじゃん?」的な開き直りは、メディアの立場がやっちゃいけないんだろうと。自分のお客様は、自分が思っているよりもずっと賢いと想定しておけ、というのは私の生活の知恵ですが、他人に敬意をもって接して損することは、まあほとんどない。
ジャリ銭かき集めるような泥仕事をしたことがない戦後遺産のメディア企業の人たちが、インターネットに押しつぶされそうになって青くなったところで社会は社会としてあるわけで、ではこれからどう生きるべきなんだろうと考えると、やっぱり「言うべき意見」を持ち、「提供すべき」価値を生み出し続けることなんじゃないか、と思います。あと、煽り耐性。笑顔でスルーもしくは「うるせー馬鹿」と言い返す力はやっぱり必要だ。それができないなら、粛々と消費者でいることを受け入れるしかない、のかもしれない。
まあ、総体としては自分の商売にはあんまり関係ない話なのですが、そういう時代だからこそ、かえってまっとうに商売しようと決意を新たにした次第であります。わかる人にわかればよい的なアート商売をしているわけではないので。
と、実は総計 600 エントリーくらい記念の決意表明。毎日新聞がバカなおかげで、私の思考がクリアになりました。大変ありがとうございました。