いまさらなんですが、これはすごい。
ザ・コーポレーション
ジョエル・ベイカン 酒井 泰介早川書房 2004-11-10
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おすすめ平均
1日でまだ2章までしか読んでませんが、1章で「企業」概念の誕生から現在までの歴史をものすごくわかりやすく説明し、2章で企業の存在意義が営利追求以上でも以下でもないことを多面的に証明しています。言葉にすると当たり前ですが、ドラッカーを読んだときと似た感触。法人格の法「人」の意味がはっきりわかりましたよ。世間的にどうかは知りませんが、私にとってこれは良書。咀嚼度合いを高めるために、読むペースをちょっと落とそうと思うくらいです。
で、これを原作にしたドキュメンタリー映画がUPLINKで上映されているはず、と調べていたら、そもそもDVD出るんですね。この紹介サイトにはなんか怒ってる人のコメントも結構載ってますが、何で「営利追求全否定」口調になるんだろうなあ。日本にあって資本主義云々を議論する場合、部分否定にしかなりえない気がするんですが……。ファイザーを例示する本書によると、製薬市場の8割は全世界人口の2割に向けられているそうですが、日本はまさにその2割の一部だろうに……。
ザ・コーポレーション
ドキュメンタリー映画 マーク・アクバー ジェニファー・アボットビデオメーカー 2006-06-23
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と、ちょっと考えただけでもいろんな考察のきっかけになるこの映画、映画館で1回見て1800円なら、DVDまで待つことにしましょう。
* * *
読み終わったので追記。
企業は営利目的に存在する
↓
本来的に他者への慈しみや社会貢献のために存在するものではない
(企業が社会貢献性を訴求する場合、それはもっぱら広報観点からの着想である)
↓
企業が持つ営利追求のベクトルは社会に対する脅威となりうる
↓
企業自身の統治や方策に期待できるものではない
↓
企業が「社会によって」生み出されたものであることを改めて想起すべき
↓
国家政府による規制や統治の意味と効力をとらえなおそう
といった按配の論理でしょうかね。最近の金融庁のハッスルっぷりともダブって、リアリティを持っていろいろ考えられました。「監査」は私の興味の1つだし、ガバナンスやコンプライアンスといったタームで括られる概念(「CSR」は最初から生理的に胡散臭いと思ってますが)は考察の対象だったのですが、それらの1段上のレイヤーが見えた感じです。
これまで「ITシステムの集中化による制度整備と管理強化を……」なんて軽々しく言ってましたが、もうちょっと真面目に考え、適切な言葉を選んでいかなければいけなそうです。たとえば企業統治にかかる局面でのIT企業が好む言い回しのような、表面上の言葉遊びじゃやっぱり意味がないなあ、という。ためしに日経BPやその他のそれ系サイトを一通り眺めてみましたが、まあどれもこれも正しくシナリオにそってて、浅くてしょうがない。どういうサービスであろうが言い回しであろうが、お金の流れのストラクチャーも一緒にみえちゃって、ちょっとした(マトリックスの)キアヌ・リーブス気分ですよ。
いやまあしかし、「企業」というシステムはとても不思議に出来上がっているものなのでありますねえ。
以下、抜書きメモ。P.196~P.201。
規制とは、さもなければ企業が外部化して社会や環境に押し付けたであろうコストを内部化させる、つまり企業自身に支払わせるものだ。規制が有効であり、また効果的に施行されたときには、企業が人々、コミュニティ、環境を傷つけることに歯止めをかけられる可能性がある。だから、規制緩和とは、実は脱民主化なのである。「人民」が現在、企業に対して持っている唯一の政治的手段である代議制度を通じた働きかけを奪うものだからだ。
それにもかかわらず、実業人のみならず民主活動家までが、政府による解決を避けようとばかりしている。彼らは、どうしたことか、政府は企業を管理する力を失ってしまったと信じている。そして、人々は路上での抗議活動や非政府団体やコミュニティ連合などの手段によって直接企業と対峙すべきであり、政府が何らかの対応策を考え出してくれるのを座視すべきではないと考えている。
企業の支配に反対する運動は、しっかりした非政府組織や草の根レベルでの活動や政治的働きかけなしには不可能でありばかげてさえいるが、それらが政府による規制の補完ではなく代替になると信じるのは危険な誤解である。企業エリートやその擁護者たちの多くは、反企業活動家たちが政府を見捨てた日には歓喜の声を上げることだろう。つまるところ、それこそが実業界のリーダーの望みなのである。
国家なしには、企業は文字通り無である。
だから、いまや企業が強力なので国家は弱くなったというのは誤りだ。経済的グローバリゼーションと規制緩和は、国家が公益を保護する力(たとえば、労働関連法、環境関連法、消費者保護関連法などを通じて)を弱めた。そして企業の利益を促進し、その営利の使命を促した(たとえば、企業関連法、財産関連法や契約関連法、著作権関連法、通商関連法などを通じて)。しかし、全体として、国家の力は弱まっていない。国家の力は、企業側により手厚く、公衆側により手薄に、再配分されてきたのである。