私の心理的行動範囲に照らせば、東京という都市はおそらく一生「よそ様の場所」であり続け、いつまでたっても「多摩川のこっち側」が自らのオリジンな場所という意識を持ち続けるのだとおもう。ゆえに、とくに横浜より南に位置する海側方面などはどこを歩いていても緊張しないし、実際フラフラしているし、というものなのである。
いつだったか、江ノ島から由比ガ浜までを延々と海づたいに歩いていたとき、ほぼ直線状の砂浜を西から東へ向かっていた私は、遠方に高校生らしき人影を認めた。どうやら彼はひとりで、砂浜に座り込み、何かをやっている。時期はおよそ季節はずれなシーズンオフで人影はまばら、砂浜には、打ち捨てられた投網やら異国から流れ着いたというわけでもないただのゴミである酒ビンやらが散乱していた。
しばらく歩き続けて彼の姿をはっきりと視認できるようになったとき、私は一種の戦慄を覚える。彼は、砂浜のあちこちに放置されたままであった、カラスの屍骸を黙々と埋めていたのである。
独りで黙々と砂浜を掘り続けている彼に、その行為が果たして何を意味するのか問いかけようと思ったが、彼の傍らにあるカラスのなきがらが、私に見ず知らずの彼に声をかけるのをためらわせた。あれから数年は経過しているが、いまだにあの光景が私の目に焼きついているのだ。
[BGM]
Tortoise / Live Dead Pigeon C.O.C. (Bootleg)